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小美玉市玉里史料館  おみたましたまりしりょうかん  2011/05/07   茨城県小美玉市高崎291-3  (生涯学習センター コスモス内)  
縄文時代、霞ヶ浦は海だった。

弥生時代、玉里の地に米作りが伝わり、人々の生活が変化。

古墳時代、力を持った支配者があらわれる。舟塚古墳出土埴輪。

舟塚古墳の円筒埴輪。

舟塚古墳築造想像図



古代、律令制の始まり。阿弥陀如来坐像(円妙寺)。

中世。武士が覇権を争った時代。薬師如来坐像(極楽寺)。

江戸時代、この地を直轄地とし漁業権を独占した水戸藩、田畑を耕し、生きていく農民。玉里御留川(たまりおとめがわ) 水戸様の網場。江戸時代初期、霞ヶ浦の漁業は48集落の自主管理だった。幕府は、箕和田浦を御留川(専用漁場)に設定。1625年、水戸藩も玉里地先の水域を区切り、玉里御留川にする。舟入、活洲、会所、納屋を備えた御用納屋場をつくる。鯉、鮒、ウナギ、エビが評判だった。

高瀬船。霞ヶ浦、利根川水系の貨物運搬として使われた川船。米500俵を積むことができた。船頭と水主(乗組員)3人が乗った。紺色の旗は水戸藩の船印。